胚移植(4回目)
凍結胚融解胚移植
県外へ引っ越ししてから、バタバタと毎日が過ぎる中、生理が来たら病院へ連絡をして胚移植をするための打ち合わせなどの確認をしていました。
1回目の生理を見送ったあとに病院へ行き、次の生理の周期で受精卵を戻すための準備として、薬を処方してもらいました。
そして、下の表がスケジュール表です。
受精卵を戻す方法として、内膜調整法という方法でエストラーナを1日おきにお腹に貼り、凍結した受精卵を融解する前の日からルトラール(黄体ホルモン剤)を1日3回毎日飲むという方法でした。
厳密に言えばエストラーナは2枚同時に貼ったり、4枚、6枚、4枚とお腹に貼る枚数と日数が決まっていました。
このエストラーナは、お腹に貼るシールで張り替えるのは2日に1度だったので、肌が荒れてかゆくなっていました。
胚移植が決定してからの打ち合わせとして、
9/11 9:30 基礎体温表をFAXしてのチェックをしてもらい、OKだったら胚移植に進むという流れでした。(体温次第では病院へ行かなければいけませんでした。)
9/13 胚移植日 14:30 来院で、その日の朝から毎食後1錠ずつウテメナール(子宮収縮予防のお薬)を3日間内服。
この受精卵は平成20年(2008年)9/8に採卵して体外受精したあとに凍結したもの(5個)と平成21年(2009年)11/7に採卵して体外受精したあとに凍結したもの(2個)です。
それを融解し、妊娠しやすいようにアシストハッチングをして、子宮に戻しました。
アシストハッチングとは、、、、受精卵を取り囲んでいる殻を透明帯といいます。場合によってはこの透明帯が厚いため、着床じに中の胚が脱出出来ず着床出来ないことがあります。また、年齢が高くなると透明帯が硬くなるともいわれています。そこで透明帯を薄くしたり、穴を開けたりすることで着床しやすくする方法です。
この受精卵の中で状態の良いものが2個あったので、色んなリスクと確率を考えた上でその2個を子宮に戻しました。
子宮に戻したあともエストラーナのテープを1日おきに張替え、ルトラールを1日3回内服、そして、黄体補充として注射(2アンプル)と座薬を12時間おきに判定日まで続けました。
子宮に戻してから黄体補充の注射は、近くの産婦人科を探して紹介状を書いてもらって通っていました。
出血して不安になる
いつもながら受精卵を子宮に戻してからの毎日は不安でした。不安しかなかったです。
子宮にもどして6日目の夜に新鮮血、7日目の朝にも出血、8日目の朝にも少し。
不安になって病院へ電話しました。
特になにをするわけでもなく、大きな出血でなければ様子をみることになりました。
緊張の判定日
2010年9月25日(土) いよいよ判定日の日が来ました。
旦那と二人で病院へ行きました。
いつもどおりに受付をしておしっこで妊娠判定をしました。
待っている間は心ここにあらずです。今までこの呼ばれるまでの緊張感と呼ばれて陰性だったときの絶望感。何度も味わったけどやっぱり緊張と不安でたまりませんでした。
そして名前を呼ばれ、妊娠判定の結果が目の前に出されました。
結果は、、、、、、、
➕(プラス)、陽性、、、、。検査キットに➕がくっきりと出ていました。
ええええええええーーーーーーーーーー!
マジですか?本当ですか?夢ではないよね?
色んな感情が出てきて涙も出てきて、院長先生と感動の握手を交わしました。
今でもはっきりと覚えています。
旦那の目にも涙が、、、、。
なんといっていいものか、嬉しい、ありがとう、やったね、先生本当にありがとうございました。
やっと私達のところに赤ちゃんが来てくれた。やっと妊娠できた。やっとお母さんになれる。
本当に本当に嬉しい、ありがとう。
この日は、その後のスケジュールを確認して家に帰りました。
妊娠後もまだまだ安心できず、貼り薬や飲み薬、注射は続きました。
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